2016年3月4日金曜日

管理会計ってホントに会計学?

Management Accounting Research の最新号に載っていた論文を読んでいたのですが,最後の謝辞のところで“the 27th EAA Doctoral Colloquium, Siena"というくだりがでてきて「ん?」と。

ピンとくる人にはピンとくるでしょうが,EAA(European Accounting Assosiation)には博士課程学生用のセッションがあります。
つまり謝辞にこのくだりが出てくるということは,この論文は著者の誰かがこの博士課程学生セッションで発表していた研究,すなわち学生のときにしていた研究が基になっていることを意味するわけです。

それでちょい調べたところ,この論文は主著者の Ludwig Voußem の博論がベースになった研究っぽいことが判明。

「すげー!すげー!博論を一発で管理会計のトップジャーナルに載せてるよ!すげー!すげー!かっけー!!!」

…ってな感じで軽く感動しつつ,もう少し見てみると,共著者のひとり Utz Schäffer の弟子であることが判明。

さてこの Voußem と Schäffer が所属しているのは WHU Otto Beisheim School of Management という学校ですが,ここの管理会計分野には Utz Schäffer と Jürgen Weber という2人の教授が在籍しています。
そしてさらに細かくいうと,この両名は"Finance and Accounting Group"ではなく"Management Group"の所属となっています。
https://www.whu.edu/en/faculty-research/management-group/

日本の大学だと,経営学部とか商学部といったところに「会計学分野」というのがあって,そこに財務会計,監査,管理会計が紐づいていて,各教授が所属しているのが一般的(のはず)。

一方このドイツの学校… Weber も世界レベルの研究者と言っていい人だと思うのですが,ここでは管理会計はむしろHRや組織論と同じく Management の領域にあるとされ,財務会計など Accounting とは異なるところにカテゴライズされています。

これはあくまで一例ですが,ドイツのトップ校(…じゃないかな?)でこういうカテゴライズをされているというのは,管理会計クラスタとしては覚えておいてもいいのかなーと。

会計学という大きな括りに管理会計が入っているのは一概に悪いことだとは思いませんが,WHUのような括りも,いま実際にMARなんかで行われている管理会計研究の内容からすると妥当だし,直感的に伝わりやすいんじゃないかな?と思ったりしました。

2016年2月27日土曜日

シャープの件について

研究の息抜きに書いてみます。10分以内,と決めて笑

※初めに断わっておきますが以下は私個人の見解であり企業を擁護したり批判したりするものではありません。また特定の事実を断ずるものでもありません。

あと「偶発債務」って言われてますが,これ英語だと contingent liabilities で,確かに contingent を「偶発」って訳すのは辞書的には間違ってないんですが,言葉の意味内容とかからすると「不確定債務」とか「将来可能性債務」(くどいけど)とかの方が近いと思います。言葉の意味は日経新聞に載ってるのでそっちを見てね。

さて今回報道されている内容,即ち「24日にシャープから鴻海に偶発債務に関する書類が渡され,それを初めて見た鴻海が急いでそれを調査し,買収の手続きがストップしている」ということを,事実だと仮定しましょう。仮定ですよ。

そうだとすると,以下2点の大きな疑問が浮上してきます。


【疑問①】シャープはなぜこんな重要な情報を今まで隠していたのか?

ちょっと学問的にいうとエージェント=プリンシパル関係という言い方ができますが,要するに親会社と子会社の関係となる者で,情報の非対称性があまりに大きかった,という事になります。こうなると相手が信頼できないわけで,いろいろ不条理なことが起きるわけです。コストもかかるだろうし。

シャープの大前提の立場としては「鴻海に買収してもらう」ということがあるわけです。仮にそうだとすれば,このような買収成立直前というタイミングで,わざわざ買収の大きな障害になる情報を出すのでしょうか?先出しするか,あるいは買収成立まで隠し通す,というのなら好悪はべつにして理解できますが,あまりにタイミングがおかしいのではないでしょうか。


【疑問②】鴻海のデューデリはどうなっていたのか?

企業買収をする場合,まずデュー・デリジェンス(以下デューデリ)という資産調査というか色んな見積もりというか,そういうのをまず真っ先にやるわけです。これは常識。

そして鴻海によるシャープの買収話って,昨日今日というかここ数ヶ月どころでもなく,年単位で出ていた話ですよね?間違いなくデューデリガッツリやった上で,産業革新機構を上回る相当な買収金額を提示しているわけです。鴻海にとっても,小さな投資じゃないんですから。
そういう状況を考えると,この記事みたいに鴻海のデューデリどうなってんやねん,となるわけです。
http://www.huffingtonpost.jp/…/foxconn-sharp-ma_b_9322734.h…

個人的には,鴻海がそんな杜撰なデューデリをしていたとは到底考え難いと思います。これは勿論推測ですが。


さて,以上のように「報道が事実」と仮定した場合,この2つの非常に不自然な点が浮かび上がってきます。

もう一つ可能性としてあるのは「報道が事実ではない=鴻海はシャープの偶発債務については勿論事前に把握していた」ということ。

ここで一つ気になるのは,産業革新機構がシャープの「鴻海に決めたよ」という発表を受けて,正式に買収から撤退した動きです。「この案件はクローズした」とまで言ってるわけです。
つまり産業革新機構としては「鴻海によるシャープ買収」というのが覆らない事実である,と認識したことになります。

もし鴻海が本当に偶発債務に関する情報を24日に受け取って,買収について再検討しているのであれば,諸々ひっくり返る可能性はゼロではないと考えるのが普通です。しかし産業革新機構は撤退を正式に決めた…

…というところで15分経ったので書くのをやめます笑
まぁ現時点では表に出てきてることが少ないので,こんなところでしょう。

2015年5月30日土曜日

大学は「職業訓練学校」化するべきなのか?→「機会は与えよ。ただしその先にあるものは示せ。」

今週水曜(2015年5月27日)の日本経済新聞朝刊,大学面にて,こんな記事がありました。

大学で職業訓練せよ 普通の学生には実学重視 (経営共創基盤CEO 冨山和彦氏)

新聞らしくセンセーショナルな見出しですが,冨山氏は自身の考えを昨年,文部科学省の有識者懇談会で提言しているらしく,記事ではこういったことを主張されています。

(以下引用)
――実学の重視というのは具体的には。
「経済学部はどの大学でも基本的にエコノミスト養成的なカリキュラムになっているが、卒業生の99%は普通のビジネスマンになり、全く役に立たない。経済学部で実学として教えるべきなのは簿記・会計だが、現実には東大の卒業生でもできないのが非常に多い」
(中略)
「日本の大学はもともと実学から始まった。福沢諭吉は実学を重視し、早稲田大学は東京専門学校だった。東大も工学や法学など実学から始まっている。それが戦後制定された学校教育法の83条で、大学は『学術の中心』とされ、職業教育は原則としてすることになっていない。これが問題の根っこにある」
(引用終了)

これだけだとちょっと分かりにくいのですが,PRESIDENT Online の2014年12月3日の記事「「G型大学×L型大学」一部のトップ校以外は職業訓練校へ発言の波紋」を読むと,氏の主張が詳しく理解できるかと思います。

(以下引用)
「文学部はシェイクスピア、文学概論ではなく、観光業で必要になる英語、地元の歴史、文化の名所説明力を身につける」「経済・経営学部は、マイケルポーター、戦略論ではなく、簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方を教える」「法学部は憲法、刑法ではなく、道路交通法、大型第二種免許を取得させる」「工学部は機械力学、流体力学ではなく、TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方を学ぶ」といった具合だ。
(引用終了)

これに対する対案として,同じ PRESIDENT Online の記事で,以下のような意見があります。

(以下引用)
「どういう根拠に基づいて、職業訓練校化せよと言っているのか」(本間政雄・梅光学院理事長)
本間氏は京大副学長、立命館大学副総長を歴任、OECDや仏大使館への出向経験もあり、国際畑が長い、元文部官僚だ。
(中略)
ただ冨山氏の見解について「今の大学が、教養教育と専門教育を組み合わせてリベラルアーツとか言っているが、十分機能を果たしていない。だからいっそのこと専門学校のように、あるいは職業訓練校のように、実技を教えればいいじゃないかと言っているのでは」と理解も示す。しかし「単に簿記会計が出来るだけでいいはずはない。ビジネスが国際的に拡がっていく時代に、イスラム教徒とは何かとか、インドの歴史とは、シンガポールの成り立ちはどうかなど、歴史・経済・文化、宗教を学ばなくてはどうするのか」と警鐘を鳴らす。
(引用終了)

さて,私もいずれは大学の教員になることを目指している,研究者の卵。これらの記事でトピックとなっている産学の関係性や,冨山氏の主張は,職業上非常にクリティカルな問題として関わってきます。

結論から言えば,私は上で引用した本間氏の主張に近い考えです。

冨山氏の主張は,非常に重要な点を看破しています。私はいわゆる「実学」と言われるものを学ぶ商学部の出身ですが,大手企業の新入社員研修などで教えられる内容が,まるっきり商学部の1,2年次に基礎科目として教えられる内容と一緒だ,なんてことが,現実に存在するわけです。

仕事に直結する知識を,方や18,19のときに学び,方や22,23になって学ぶ… この3~4年のタイムラグは,率直に言ってナンセンスです。冨山氏の言うような「実学」をもっと教えるべき,というのは事実でしょう。

これは産学の乖離が具現化している一例ですが,大学の内部に目を向けてみると,「この授業が将来どう役に立つか」といった視点が往々にして欠如していることも,事実でしょう。私が中学校に入学したとき,初めての歴史の授業で,先生は歴史を学ぶ理由として「温故知新」という言葉と共に,その意義を説いてくださりました。しかし大学の授業で,そういった話を聞いた記憶はあまりありません。この点に関しては冨山氏の主張に同調するのですが,大学教員はもっとこの点を明確にする必要があるでしょう。リベラルアーツと言って逃げるのではなく。

一方で私は,リベラルアーツが不要だとも思いません。この点においては,本間氏の主張に近いと言えるでしょう。

18,19の歳から将来の目標を見つけ,それに向かって主体的に取り組むことができる,というのが,学生の理想像かもしれません。

しかし,現実にはどうでしょう。そんな学生ばかりではないはずです。むしろ,学生みんなにそういうことを求めるのは無茶だとすら思います。

自分の将来進む道を決め,その専門にのめりこむタイミングは,人それぞれです。私だって研究の道を目指そうと決めたのは修士に入ってからですし,私の友人にも,大学に入った直後と3年生くらいからでは,まるっきり違うことをやっていた人がいます。その友人は,大学に入ったころにはまったく本人も周囲も想像していなかったであろう業界で,いま活躍しています。

私にも彼にも共通しているのは,大学という「機会」に恵まれた場で,偶然の要素も重なりつつその「機会」に巡り合い,「これだ!」という確信を得たことでしょう。私の考えが自己の経験に依存している感は否めませんが,自分の将来の進路なんて分かんないものですし,いつだってフラットに,冷徹に,自分の人生の針路を変えることだってあるはずです。それこそ,就職してからだって。

産学連携の実践的な教育も,多様なバックグラウンドを集積することも,サイエンスもリベラルアーツも,あるいはサークルや部活などの課外活動だって,広い意味での「機会」です。私の考えとしては,大学は機会に溢れた場であってほしい。その機会を与えなくなってしまうと,最終的に行きつく先は,知識の面でも人間性の面でも,狭量な学生が増えてしまう事態でしょう。

もちろん機会が多いということは,学生の側も時にはそれに溺れ,懊悩たる思いをするということでしょう。学生の側には,いま眼前にある機会がどういったものかを意識し,たとえ今ではないかもしれないにせよ,ここぞという場面ではその機会を掴みとっていく姿勢が必要になります。

まずはその前向きな姿勢を持つ必要があると,学生に伝えなければいけない。

そして,その「機会」の先には何があるのか。これを示すことこそが,大学教員に課せられた使命でしょう。本間氏の主張にあるように,リベラルアーツだって将来の役に立つわけです。生活の役にたつわけです。この点を,しっかりと学生に伝えなければならない。

中庸的な結論になってしまいますが,結局は産学がともに歩み寄って大学教育の幅を広げ,機会を与え,その先の見通しを学生に示さなければいけない。学生の側も,鷹揚に構えず,機会の先にあるものを見越して,それに飛びついていかなければいけない。

わが国は教育に投資することで発展していくと確信している,学者の卵としての,ささやかな願いであります。



2015年2月15日日曜日

修士論文を書いて感じた3つのこと

気付いたら半年くらいブログ書いてなかったんですね。それくらい、修論に没頭していた…ということにしておきましょう(笑)

さて、先日無事に修論の最終発表を終えました。課題も残しつつの発表でしたが、幸い合格ということで、あと少し所定のものを出せば修了できるはずです。

そうすると、SDMを出るので、このブログのタイトルもどうしましょうか… いま一度、正式に進路が決まり次第、考えることにします。


では本題。タイトルの通りです。

近ごろは大学進学率も上がって大学で卒論を書くというのは多くの人が経験しているわけですが、大学院の修論というとそうもいかず、なかなか周りで書いた人がいないものです。したがって「修論とはこうだ」的な声を聴く機会も少なく、私もよくネットで修論の苦労や悲哀が書き綴られたブログなどを読んでいました…(苦笑)

いちおう私もレベルはともかく修論というハードルをクリアーしたので、「修論かくあり」的なのを書いてみたいと思います。


①睡眠は大事
いきなり何を言っているんだというご叱責を頂戴しそうです。何より私は単純に惰眠を貪りすぎなだけ…ゲフンゲフン、しかしながら睡眠は大事です、本当に。

私の場合とくにM1前期で慢性的な睡眠不足状態に陥っていた…と今なら言えるのですが、ともかくその頃と比較して、ある種諦めて睡眠をたっぷりとっていた修論執筆期とでは、明らかに脳の働き方が違いました。「寝るのが遅くなったら無理して早起きしない」というのはフルタイム学生ならではの力技であることは認めますが、しかしながらやっぱり睡眠をしっかり取った方が、活動時間がより濃密なものになります。

特に修論というのは、自分の頭をフル回転させ、ただでさえ不足している自己の能力を余すところなく引き出して、ようやく修論になるかどうか、という世界です。ここで能率が下がるような事態は致命的です。理系で日夜長時間の実験作業が求められる場合などは致し方ないのですが、文系など机にPCと紙を広げてやるような修論研究の場合、そこでウトウトするくらいならいっそベッドで寝てしまい「今日できることは明日やればいい」との開き直りが必要なくらいだと言えます。もちろん翌日、本当にちゃんとやらないと大変なことになるんですけれど。

因みにこの第一の論ですが、「1回の徹夜は勿論、二徹や三徹も何のその!どんとこい!」みたいな超人には、まったく当てはまりません。そういう超人はたまにいます。が、逆に言えばそうそういません。凡人は素直にしっかり寝て脳みそを最後の一滴まで絞り出すことに注力すべきでしょう。


②何事も早目に越したことはなし
ネットで他の方の修論よろず話を読んでいても、一番出てくるのがこれです。かくいう私もかなりギリギリでした。

私の場合、アンケートによるデータ収集を行ったのが、11月下旬にまでずれ込んでしまいました。ここから分析を行うわけですが、当然この時期は分析だけやってりゃいいというものでもなく、論文のレビュー部分などを執筆しながら同時並行的に分析し、そこからその結果をまとめて考察まで持っていかなければいけなかったわけです。これは苦しかった。

加えて、最後に校正という作業が入ります。これは周りを見てもやっている人の方が少ないかもしれませんが、一発目に書いた自分の文章というのは想像以上にボロボロです。読み返すとトラウマになるレベルで誤字脱字だったり語句の表現が揃っていなかったり数値が間違っていたり…という問題が出てきます。

そして、修論は何より期限が大事です。「期限内に書き終えて提出する」ということをやらない限り、不合格にされても文句は言えません。これで前日深夜や当日に論文を書いているなんていうのは、例えるならば切れかかった紐を命綱にバンジージャンプをしているようなもんです。いつ切れてもおかしくありません。そんなのいやだってことはみんな分かってるんですが、結局そうなってしまうのが人間の性です。みんなギリギリ崖の上を行くような修士人生を送るわけです。

この問題を乗り越えるには、メタ認知的に「修論とは制作が遅れるものだ」と意識して、すべてを早め早めに取り組むほかありません。ちょっと早すぎるくらいでいいでしょう。また論文も、レビュー部分までなら、データ収集より前に書けるかもしれません。そういった早めの取り組みを、十分とは言えないながらも多少なりともしていたのが、私には珍しく提出間際に慌てなかった一因かなと思います。

なお結局、ギリギリになって誤植が判明して、一通り落ち込んだたけどね… そんなもんですよ…


③2年間は短いぞ!
極論するとこれに尽きます。

だいたいみんな、夢に胸を膨らませて修士課程に入学してきます。「よし、やるぞ!」と。最初からこの大志がなかった院生は、さすがにほとんど見たことがありません。

ところが入学後、学部とは違った授業の負荷、忙しさに打ちのめされます。またアカデミックな世界に少しでも触れてみると、自分がいかに矮小な存在か自覚することになります。ぼんやり考えていた研究テーマは、だいたい過去に研究されています。そりゃそうだ、過去の研究者たちもばかじゃありません、サボってたわけでもありません。もうひとつあるパターンですが、ぼんやり考えていたテーマが、本当は研究に適していなかったとか、じゃあ研究としてどこから手を付けていいか分からない状態になり、まさしく文字通り五里霧中の状態となります。そうこうしているうちに月日は経って1年くらいあっという間に過ぎてしまいます。さぁどうしよう。ああしようか、こうしようか、テーマを微妙に変えながら模索しては壁にぶち当たり、考えているうちに残り半年くらいになっています。ここでいよいよ焦って落としどころを探し始める→②へ(笑)

…というのがすべての人に当てはまるわけではありませんが、往々にしてこの状態に陥りやすいのが修士課程だと思います。単純に2年という時間があっという間に過ぎていく、というのもありますが、自分の知識の蓄積と、過去の知見を超える何かを生み出すという作業を、同時並行的に行うには、2年間という時間はじつはあまりに短く、かなり真剣に取り組み続けないと、とてもとても当初思い描いた領域には到達できません。いや、だいたい到達できなくて、到達できないんだけどここまでは来たぞ、と言えるかどうかだと思うんですけど。

もちろんここにもスーパーマンはいて、全部やっちゃう人もいます。ただし、全部やってるように見えるだけな人もいるんだと思います。ここは主観と客観、両方あるので、何とも言えませんが。


…さて以上、書いてきましたが、こんなことがたとえ最初から分かっていたとしても、完璧な修士生活を送れる人間なんてたぶんほとんどいません!だいたいは理想と現実の狭間でもがき苦しみ、その中でなんとか修士号を得ようとする中で、気付いたら何かを手にしていたりしていなかったり、という事なんだと思います。そして2年間を振り返ったときに「ああ、自分は甘かったなぁ…」と思うわけです。

しかしだからといって、修士生活や修士論文が無駄だと言うわけではありませんよ。きちんとやってきた人はちゃんとそれなりの修論は書いていますし、スーパー修士学生もいます。全員がその領域にたどり着けずとも、これからの修士学生が少しでも何かを手にして修了していってほしいなぁ、という思いを込めてこの記事を書いたわけです。自分もなんだかんだで、自分の修論に対しては愛にも似た感情を抱いているわけです、「完璧じゃないのも可愛くていいじゃない」って感じで(照)

2014年7月8日火曜日

国民年金を経済性分析してみた

こんにちは。本来Facebookに書こうと思っていたのですが、長くなったのでブログにすることにしました。たまには更新しないといけませんしね(笑)

さて授業の課題で、国民年金の支給を投資案として分析してみました。今日はそれについて書いてみます。

国民年金は通常65歳から支給を受ける事が出来ますが、これを繰上げて60歳0ヵ月からにする事、また逆に繰下げて70歳0ヵ月からにすることが可能です。そしてそれぞれ、繰上げ1ヵ月につき0.5%の減額、繰下げ1ヵ月につき0.7%の増額となります。 つまり限度いっぱいに繰上げ、繰下げを行うと、60歳からでは通常の支給額の70%を、70歳からでは通常の支給額の142%を、ぞれぞれ受け取るようになります。

では、この「繰上げ=60歳から支給」「通常=65歳から支給」「繰下げ=70歳から支給」という3つの案のうち、どれを選択すべきなのか?

経済性分析に於いてあと必要なのは、初期投資額と利率です。初期投資額はこれまでおさめた保険料の総額という事になりますが、これを求めるのは非常に難しい。今回は約20年前の保険料10,500円/月を35年収めたものとして概算、金利は日銀に倣って0.3%で。因みに年金の支給額は満額であれば772,800円が年間で支給されますが、今回は保険料を35年払ったことにして計算しているので、676,200円となります。

以上を踏まえて、日本人の平均寿命である84歳まで年金を受け取ったとして各案の経済性評価を行ったところ、下記のようになりました。なお今回は経済性評価のための指標として、NPV(Net Present Value:正味現在価値)とIRR(Internal Rate of Return:内部投資利益率)を用いています。


つまり、もし平均寿命まで生きられるのであれば、年金はできる限り繰下げて受給した方がお得、ということになります。

但し。ここで注目すべきは、一番右の回収期間。これは初期投資額を利益の積み上げが上回る、即ちNPVが0を超えるまでの期間を表しています。

この表における数値は年金の受給開始からの年数を示すため、それぞれの回収期間…というより回収が完了する年齢は、繰上げの際には70.8歳、通常は72.5歳、繰下げでは75.3歳となります。つまり、例えば72歳くらいで死んでしまった場合、繰上げて年金の支給を受けていれば投資は回収されるものの、通常どおりの受給であればトントン、繰下げていれば損をすることになってしまいます。

では、各案の優劣が逆転するのはいつなのか?これを求めると、以下のようになります。


つまり、「通常>繰上げと」なるのは76.7歳のとき、「繰下げ>通常」となるのは81.8歳のとき、「繰下げ>繰上げ」となるのは79.7歳のとき、となります。

だんだんワケが分からなくなって参りましたが、ここで一つ重要な情報をば。先ほどのNPV、IRRを求めたのは日本人の平均寿命84歳を基準にしており、もしここまで生き延びられるのであれば、明らかに年金の支給は繰下げた方がお得です。

但し、こと日本人男性に限って言えば、平均寿命は80歳です。即ち、もし男性の場合、平均寿命まで生きたとしても、通常支給がベストの選択肢であるという事になります。また以下は男女関係ありませんが、もし平均よりちょっと早く80歳を前に死んでしまうのであれば、繰下げ支給を選択した場合は一番損をするという事になりますし、さらに言うと77歳まで生き延びない限り、繰上げ支給がベストな選択肢となる事になります。


…如何でしたでしょうか?今回は投資額の見積もり方が少々乱暴ではありますが、こうやって経済性分析してみると、年金を投資案として見た時、どの案を選択すべきか、意外と難しいということが分かるはずです。因みに今回は繰上げ、繰下げとも限度いっぱいのものにしましたが、実際にはこの範囲であれば月単位での繰上げ、繰下げが可能なので、検討すべき投資案は121通りあるという事になりますね…!

あとは貴方が、自分の寿命をどう見積もるか次第… こればっかりは分からないところが、年金という制度における最大の不確定要素であり、投資案の選択を困難にする要因ですけれどね。ここら辺、長生きするおじいちゃんおばあちゃんこそ報われるべきって考えも分からないではないですが、何とかならないかなぁ(苦笑)

2014年5月5日月曜日

SDMで学費の「元を取る」方法

前回の更新から3ヵ月空いてしまいましたね。留学から帰って3ヵ月経ちますが、あっという間です。特筆すべきことが特に無かったのでブログも書かなかったんですが、基本的には研究に励む日々です。

さて。今回ブログを書いてみようと思った契機は二つありますが、この度「スポーツデザイン・マネジメントラボ」に少し関わらせていただくことになったのが、その一つ目です。

スポーツデザイン・マネジメントラボは昨年11月に設立された、SDM研究科の新しい横断型ラボです(こちらが当時の告知)。いちおう私自身、スポーツの指導も少ししていることもあり興味はありましたが、先日ラボ主催の講演会を少しだけお手伝いさせていただき、その流れで今後はこちらの活動もしていくことになりました。お邪魔にならないよう、がんばらなければなりません。

因みにこの横断型ラボというのは、通常の研究室の枠を超え、学生が所属し活動を行うラボのことです。私はアグリゼミこと農都共生ラボにも参加させていただいており、これで2つの横断型ラボに参加することになります。また名刺作り直そうかしら(笑)


もう一つ、今回ブログを書こうと思ったキッカケは、とある飲み会やSDMの修士2年が集まる“小部屋”で話題になっていたことです。即ちタイトルにある通り、払った学費の分、どうやってそれに見合うリターンを得るか、というお話。

新学期が始まり、「(今期)授業とるの?」と同期に聞くと、大体何かしらは履修してるんですね。その上で、二言目に出てくるのが「学費払ってるし、折角だから…」という言葉。

これは非常に重要な事です。SDM研究科の学費は、ハッキリ言って安くない。金額は勿論公開されてるから、これくらい言っても大丈夫でしょう。別にネガティブキャンペーンでもなんでもなくて、高いのは事実です。あの金額を見て「いいや、これくらい高くない!」と言えるほど、うちはお金持ちじゃありません(笑)

もちろん高いなりには理由が幾つかあるわけで、漏れ聞いているものもありますが、それについてはここでは書きません。むしろそんなことは問題じゃない。

学費というのは、学生の教育、及びその将来に対する投資であり、投資した以上リターンについて如何にしてそれを得るか考えるのは、当然の発想です。むしろその発想すらなく何となく学校に通うことは、通常ではあり得ないことでしょう。特に大学院レベルまで来れば。

博士の場合また少し事情は異なりますが、こと修士に限って言えば、SDM研究科で学費の元を取る手段としては、以下のようなことが挙げられると、私は考えています。


①授業をたくさん履修する
上述した現M2同士の会話でも真っ先に挙がるのが、これ。まず一番まっとうな考え方ですし、学生としての大前提、基盤となるものでしょう。

但し、SDM研究科の場合、じつはSDMの授業だけにその機会はとどまりません。経営管理研究科(KBS)の授業も、履修することができます。これに関しては個人の専門も関係してくるので、一概に履修すればいいというものでもないですが、私のように経営や経済、ビジネス系の学問バックグラウンドがある場合、このKBS授業履修の機会を逃さない手はありません。

また、三田や矢上などの他研究科の授業に顔を出している人も、私を含め複数います。ここら辺の手段は人それぞれなのであまり普遍的な方法とは言えないかもしれませんが、いずれにせよ慶應の大学院に所属しているのですから、学内でいけるところには行ける限り足を伸ばして学ぶことは、学生の本来あるべき姿と言えます。何も恐れたり恥じることはない。


②留学する
私自身留学したので、これについては過去色々書いてきました。詳しくはアーカイブをご参照いただくのが手っ取り早いと思いますが、改めて強調しておきたいのは、こんなに自由に、いい条件で留学できる機会は、普通の大学院ではそうそう無いということです。

因みに慶應の他研究科ですと、ダブル・ディグリー制度による留学が、幾つか見られます。こちらも非常に良い試みであり、もっと広がっていってほしいというのが、留学を経験した者のささやかな願いです。


③施設を積極的に利用する
SDMのある協生館って本当に良い施設ですよ。慶應に長年いる者として、つくづくそう思います(笑)

「大部屋」「小部屋」「実験室」「メディアセンター」等々、ひとりで黙々とやりたいとき、皆でワイワイガヤガヤやりたいとき、ちょっと息抜きしたいとき。それぞれに対応できる場所が整っています。建物の中にはコンビニもあります。電源完備です。新しくてきれいな建物です。しかも24時間開いています。そしてプリントアウトもタダです。これは本当に素晴らしい。

もちろんプリントアウトなどは節度を守って利用しなくちゃいけませんが、こと学習や研究のために論文をガシャガシャ刷る… これを積極的にやるのは、むしろ奨励されて然るべきレベルのことでしょう。


④ラボにたくさん顔を出す
案外見落とされがちなのはこれなんじゃないかなーという気がしています。

SDMには、既に述べたように指導教授の下で学ぶ通常タイプの研究室に加え、横断型ラボが多くあります。その活動頻度はそれぞれであり、またコミットの仕方も人によって異なりますが、いずれにせよこれは非常に魅力的な場や機会であり、普通の大学院にはないことであり、また色々な人や志を受け入れてくれるSDMの懐の深さを象徴する体制であると言えます。

私は参加していませんが、ヒューマンラボなどはOBや前野研、白坂研以外の学生も参加するなど、その活況ぶりはSDMらしいなぁといつも思っています。


⑤何かを企画するor企画に乗っかる
SDMで最初に学ぶブレインストーミングの原則として「何でもアリ」「他人のアイディアに乗っかる」というものがありますが、普段の院生ライフもそういうものじゃないかと。

「何かやりたい!」と思った学生内での企画などは、これまで幾つか見てきましたし、それに参加することで様々な発見や、交流が生まれてきました。自分で企画するのもありだし、乗っかるのもあり。要するに、何かやりたければやればいいし、その時に手を上げてくれる人はいくらでもいる。これがSDMだと思っています。


…色々書いてきましたが、一言で言ってしまえば「機会はいくらでもある、それを活かすも殺すもその人次第」ということですね。これはこのブログを作った当初から書いている気がしますけれど(苦笑)

自分自身、あと1年弱となったSDM研究科在籍の期間は、これを一時たりとも忘れずにいなければなぁと思います。同時に、近ごろM1の方からSDMでどう過ごすべきかということを聞かれたり、またそいう話をしているという事を小耳にはさんだりします。結論としては上の一言だというのが自分の考えです。

要するに、何でもやってみりゃいい、大体何とかなる。こうやって日々過ごしてれば、高い学費も元は取れるんじゃないか、というのが2年目を迎えたいち学生としての印象です。



2014年2月2日日曜日

留学残り0日~留学とは何だったのか~

こんにちは。現在,ミラノのリナーテ空港からこのエントリーを書いています。

早いもので,132日ほどあった留学も,終わりを迎えることとなりました。残すは20時間ほどかけて,家に帰るのみです。いや成田から家が遠いというのは本当に大きいですね…(苦笑)


さてフライトまで1時間弱あるので,まとめられる限り留学についてまとめてみようと思います。これまでの記事でも書いてきたことと重複する部分が多数だとは思いますが,いちおう一つの区切りとして。


【留学してよかったこと】
■自分の専門に関する内容を英語で学べるようになった
これまで勉強のことはあんまり書いてきませんでしたが,あくまでもメインは勉強しに行っていたわけです。決して遊びだけだったわけではありませんよ(笑)

そもそも英語でまともに授業を受けたこと自体,SDM研究科でのいくつかの授業が初めてであり,留学してちゃんと授業の内容を理解できるのか,不安でありました。結果としては明らかに100%は聞き取れたわけじゃないのですが,一先ずついていける程度にはできていた,と思います。

もちろん英語英語といいますが,英語の能力を高めるという意味合いのみならず「自分の専門に関すること」を英語で学べたことに,大きな意味がありました。私の専門は組織論,管理会計論ですが,幸いにもそれと見事に合致する授業を履修することができました。授業を聴講し,グループワークでディスカッションを行い,課題のために文献を読む中で,英語で専門を学ぶという行為それ自体に,かなり慣れることができました。もちろん日本語で学ぶときほどスラスラとはいきませんけれど(苦笑)

これはかなり重要なことでして,おそらく古文などの学問を除けば,ほぼすべての学問というのは,日本国内のみで完結していることなどまずあり得ません。ドラッカーにしろポーターにしろクルーグマンにしろ,学問の大家と呼ばれる人は大体の場合,英語で彼らの原著を執筆しています。もちろん日本でも翻訳版が出ていますが,時に質の悪い翻訳というのも残念ながら世の中にはあります。可能な限り言語がそのままの原典に当たることで,真の理解が深まります。また勿論,翻訳などなされるわけもない膨大な英語の論文があります。これらの文献にアクセスすることは,博士以上はもちろん修士レベルでも重要なことです。

…といって相変わらず辞書をひきまくってるんですが,それでも一応前よりそういった文献を読めるようになったのは事実です。専門的な用語や表現も,いくらか覚えてきましたし。

もちろん日本でがんばって英語の文献を読むことでもこの力は高められますが,留学というのは一番手っ取り早くこの能力を伸ばし,原典にアクセスする障壁を下げることができる手段だと思います。


■“相対的に見た日本”を知ることができた
いかに豊かで恵まれた国であることか!(笑)

これに関してはかつての記事に詳しく書いたので,詳細はそちらに譲ることにします。帰ったら日本の景色がどう見えるのか… あんまり変わんないんじゃないかという気もしますが,それでも以前と比べれば,日本の恵まれたところ,豊かなところ,逆に行き過ぎなところなど,ひしひしと実感しながら生活することになると思います。

因みに上記の「英語で原典にアクセス」の話とも絡めると,日本の文献と英語の文献との間での相対比較も,今後は少しできるようになるのかな,という気がします。こればかりは日本に帰って本格的に日本語文献へのアクセスに戻るまで分かりませんが,ただ研究の道を志す上では,必ず意識しなければならないポイントの一つ。大事にしていきたいところです。


■自分自身を見つめ直すことができた
これも過去に書いたことと大部分が重複するので,簡潔に。

留学というのは,ある意味では日本で自分が無意識に過ごしている日々のシーケンスを,一時的に分断することになります。もちろんそれを前後で繋げていかなければならないのですが,敢えて「日常」から離れることで,自分がそこで何をしていたのか,今後何を目指して,何をするべきなのか。それを改めて考え直す,絶好の機会となりました。

特に留学最終盤は「日本に帰ったらあれをしなきゃこれをしなきゃ」ということで頭がいっぱいになってしまいました。SDM研究科の交換留学は,通常3~4ヶ月ほど。年単位の長さがあるわけではなく,最初から終わりが見えている留学ともいえます。だからこそ,いい意味で余計に帰国後の事も意識しつつ,日々を過ごすことができました。



さて。もしかしたら来年以降に留学を考えている人が,このブログをご覧になるかもしれません。いちおう私の経験から,留学にあたって「こういうことができる人は留学期間を有効に過ごせるのではないか」という類のことを,幾つか挙げてみます。

■事前に留学への目的意識を明確に持つ
上述してきたようなポイントは,私は程度の差はあれ,留学先の希望を決める段階から意識してきたことです。

特に最初に挙げた学問のジャンルに関しては,私としてはかなり重要なポイントだと思います。SDM研究科の留学は,単なる語学留学ではありません。研究留学のみならず聴講の場合においても「海外大学院の授業に参加できる」機会は,お金さえ払えば誰しもが手に入れることのできるものではありません。この点が,“誰でもいける”語学留学との,最大の違いです。

専門のことを学べたからこそ言えますが「専門に関する適切なジャンルを学べるかどうかというのは,SDM研究科から留学する価値が倍増するか半減するか」というレベルの話だと思います。もちろん勉強だけしていても仕方ないのですが,やはり基本的には勉強がベースにある留学です。この点を無視することはできませんし,この点を生かすことこそ,修士レベルで留学することの真髄と言えるでしょう


■留学中の1日1日に価値を見出す
時間は有限です。特に1セメスターの留学は,ものすごく短くはないですが長くもありません。無駄にしている時間などありません。あっというまに終わりますよ(笑)

自分も振り返ると反省はあるのですが,しかしできる限り,1日1日に価値を見出すことは,意識してきました。何気なく街をぶらぶらしてカフェに入ったりするのでも,現地の人の暮らしをダイレクトに経験する,という大きな価値があるわけです。もちろんただ遊んで,ああ楽しかった,というだけでも十分すぎるくらいなんですけれどね。


■失敗や未知との遭遇を恐れない
英語に自信がありません。ついていくのも大変です。グループワークは四苦八苦です。でもいいんです。みんな優しいので自分なりに一生懸命やっていれば最終的には何とかなりますし,そこはちゃんと評価してくれます(笑)

留学してすぐは知らない人だらけですが,恐れさえしなければ自然と友達は増えていきます。授業に出ればなじみの友達ばかり,という状態になるのに,そんなに時間はかからないかと。失敗とかコミュニケーション上の祖語とか,そんなものを恐れていたら何も始まりません。とりあえず恐れずに初めてみましょう。だいたい何とかなります。

ただ勿論,英語ができないけど周りが助けてくれるからいいやーなんてほったらかしにすると,それは非常に勿体ないことだと思いますけれど。


■周囲に適応しつつ一方で自分をしっかり保つ
一見矛盾しているように見えますが,留学によっていきなり異なる文化圏に放り込まれるわけです。周囲から受ける刺激,影響は甚大です。自己をしっかり保てないと「ただただ流されるだけ」になってしまう恐れがあります。それでは勿体ないですよね。



さて,ここまで書いたところで飛行機の時間が近付いてまいりました。イタリアで最後に飲んだカプチーノの写真と共にお別れします。イタリアのワインとコーヒーは本当においしかったです(^^)

Grazie Italia, arrivederci! Ciao!!!